2013年12月21日(土)14:00~ 練馬区立美術館「渡辺千尋 復刻の聖母」展会場にて
中林忠良先生(版画家・東京芸術大学名誉教授)によるゲスト・トーク①
『渡辺千尋 銅版画カタログ・レゾネ(2010刊行)』は、渡辺千尋遺作管理会の中林忠良先生が中心となって作成されました。
日本の現代版画界を長らく牽引され東京芸大名誉教授、日本版画協会理事でもある中林先生と
東京での版画関連の団体、美術大学の仕事とあまり関わっていなかった渡辺千尋との意外な接点は
400年以上前、日本銅版画史の第一歩に関わる重要な仕事に携わった事でした。
渡辺千尋は日本最初の銅版画復刻、中林忠良先生は銅版画印刷機復元制作の監修、
日本の銅版画史だけでなく、キリスト教史、当時の日本と西洋との文化・政治の交流についてなど、
様々な角度から関係資料を調査し、わずかな資料を元に確信を得るために渡航したりと、
依頼された仕事の範疇を超え、宿命的な仕事を成し遂げた銅版画家ならではの信頼関係が築かれていったのかもしれません。
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トークではまず、渡辺千尋の類まれなビュラン技術についてのお話しから。
ビュラン(彫り)はエングレーヴィングとも言われ銅板に直接ビュランという下記図のような彫刻刀で彫る最も古典的な技法です。
身近なところでは貨幣(千円札や1万円札)がこの印刷手法で作られています。
千尋氏は体力・集中力がベストな時期、僅か1㎜の中に10本以上の線が描けたそうです。
中林先生はギャラリートークに集まったお客様用にビュランで彫られた小さな銅板原版と、その線描を印刷した紙を数十人分をも用意して
このビュランについて、わかりやすく解説されていました。
会場内では復刻された日本最初の銅版画「セビリアの聖母」と、その「原版」を見ながら解説。
↑ 渡辺千尋「セビリアの聖母」(復刻した銅版画)
↓ 渡辺千尋著『殉教(マルチル)の刻印』について解説する担当学芸員の小野さんと中林先生。
著書『殉教(マルチル)の刻印』は、日本最初の銅版画「セビリアの聖母」復刻までの全過程を特に銅版画家としての鋭い視点で書き綴っています。
上記の本は第8回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を本を練馬区立美術館の会期に合わせ、長崎文献社より復刊されました。
<概要>
「セビリアの聖母」がセミナリオの画学生によって制作されたのは1597年、同年、世界を震撼させた大事件・二十六聖人の殉教がありました。
殉教の地「西坂の丘」は、少年時代の遊び場であったことを知った渡辺は「復刻は自分に与えられた必然的な仕事」として受諾する事となる。
「セビリアの聖母」復刻にあたり、400年の歴史の溝を埋め、制作者であるセミナリオの画学生の気持ちに少しでも近づく為、
渡辺千尋は、二十六聖人殉教の道・大阪~長崎を、同じ28日間という日程で歩き通します。
*現在、二十六聖人が殉教した丘には彫刻家・舟越保武作「二十六聖人像」があります。
数年前、これを見に行った際の写真を紹介します。
↓ 裏側の石塀
↓ 側面
二十六聖人像近くの木陰で眠る猫。
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「渡辺千尋 復刻の聖母」展(練馬区立美術館)
http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/museum/tenrankai/watanabe.html