池田満寿夫 「女・動物たち」 1960年 銅版画
第2回東京国際版画ビエンナーレ展《文部大臣賞》受賞
「池田満寿夫銅版画展」(1961不忍画廊)出品作
池田満寿夫(1934〜1997)とは、高校一年(1949年)から半世紀にわたるつきあいだった。戦後大陸から引き揚げ、御両親は長野市内で下宿屋をしていた。
明るい男で、当時流行ったゴムのボールの野球も熱心で足も早かった。高2ぐらいの時、校長室前の廊下に水彩コンクール入賞した池田の絵が飾られたことがあった。彼の嬉しそうな顔があった。
我々の通った長野県立長野北高等学校(現長野高等学校)は、県下でも有数の進学校。文武両道を唱える高校であった。しかし美術大学志望は当時皆無だった。池田は3回芸大を受けて失敗しあきらめた。
上京して独学で画家を目指し、瑛九と出会ったことで色彩銅版画を習得、東京国際版画ビエンナーレ展で国際的な審査員(NY近代美術館版画部長W.S.リーバーマン)に認められたこともあって次々と賞を重ね、たちまち現代日本版画のスターになってしまった。
画家・堀内康司の紹介で不忍画廊で初個展をしたのが1961年であった。
また一方、文章にもすぐれた才能を発揮して芥川賞まで受賞してしまった。
日本の画家は池田以前、大げさにいえば、命がけで、ねじり鉢巻で、描いて描いて描きまくる世界に生きていた。それを引っくり返した。
軽ろみのアートを目指したのである。
晩年、唯一やり残していたペインティング大作も手がけ始めていたようで、新しい展開を見られなかったのは非常に残念なことである。
2020年4月 荒井一章