長崎県美術館「渡辺千尋の仕事展」2014.3.14~6.8《パート2》
《パート2》
銅版画家だけでは収まりきらない渡辺千尋の才能について、スペースを広く使って紹介していました。
1.ビュランに出会う前の仕事/ドローイング
2.デザイナーとしての仕事/本の仕事(装幀など)
3.2冊の著書/『殉教(マルチル)の刻印』、『ざくろの空 頓珍漢人形伝』関連資料
<1.ビュランに出会う前の仕事/ドローイング>
渡辺千尋はビュランに出会う1978年(34歳)まで、油彩、水彩、ペン画など様々な画材で描いていた。
特に人や身体をモティーフにしたモノクロームのドローイング(ペン画)がその資質に向いている表現手段であった。
今展示では1968~78年のドローイングも数多く展示された。
『マッドイラスト大特集』で赤瀬川源平、中村宏ら8作家とともに選出。
日本を代表する鬼才を押しのけ、巻頭特集に選ばれている
自費出版した画集『反吐/1970年』掲載のドローイングの原画など
右手前のドローイング:初期エングレーヴィング「卵夢」1978 の下絵。
エングレーヴィング作品1点を完成させるまで
何枚もの段階摺りや手彩によって完成に近づけていく
「空の森/1987年」の下絵や段階摺りなどの展示。
<2.デザイナーとしての仕事/本の仕事(装幀など)>
食べて行く為の手段”であるデザイナーの仕事は
絵を描きたくて仕方ない渡辺にとっては「自分の身が引き裂かれるような思い」であったという。
しかしプロのデザイナーの仕事の中で得たモノも大きかったのでないだろうか。
展示された数百種類の本の装丁は、渡辺の感性の鋭さを示している。
・同時代性を取り入れたデザイン
・格調と品のある普遍的な美を追求した装幀
・自作の銅版画やドローイングを、トリミングしたり反転させる
アーティストとして、エングレーヴィング(ビュラン)の仕事を完成作とするならば、
デザイナーの仕事ではポップな色彩を多用したり、
様々な様式・意匠の実験を試したり、
アーティストとして、仕事の糧として、
とても上手くバランスを保っていたのではないかと思ってしまう。
(おそらくどちらの仕事も最高レヴェルの仕事をしているに違いないだろうが。。。)
木村伊兵衛の全集、
ちくまライブラリーのデザイン、
小沢昭一監修の『藝能東西』の装丁、
レコードジャケットなど、優れたデザイナーとしても類まれな才能を発揮する。
<パート3>へ続く。