私が駒井哲郎から受けた最大の影響を考えてみると、それは駒井が常に語っていた「インクは立ち上がっていなくてはいけない」という、執拗なまでのこだわりへの吸収がそれであったように思われる。つまり銅板という硬質な素材、硬質なインクを媒体としてのイメージの刻印、イメージの物質化である。故に多くの版画家にとっては唯の版画紙という素材にすぎない物もまた、私にとっては危うさを持ったイメージの支持体というスリリングな存在として映ってくるのは当然の事なのである。駒井は紙についてはそこまで言及していないが、彼のこだわりの神経の在り様は、そこにまで及んでいたように思われる。私は今、イメージと記したが、それをポエジーという言葉に詰めて置き換えても、ここでは良いかと思われる。書き直してみると、銅板という硬質な素材・硬質なインクを媒体としてのポエジーの刻印・ポエジーの物質化とすれば、焦点が更に定まって来よう。
ポエジーというものは、何も言葉を通して詩人と称する人達だけが紡ぎ出す占有物ではない。空間・時間芸術の垣根を超えて、映像・音楽・小説・舞踏…そしてクレーの如き絵画や、その他、様々なジャンルにおいてそれの顕在化は可能なのである。更に言えば、私達の存在の郷愁の哀しみの内に、それは既にして存在しているのである。
何よりも本質的に鋭い詩人の感性を持った人が、この国の銅版画の黎明から発展へと至る端境期に登場し、宿命を背負うようにして銅版画の可能性を放射して見せた。それが駒井哲郎という現象であると、私はその人の事を捕えている。この寡黙の人は、その内に囲う荒ぶるアニマを御すようにして静謐の韻に変え、独自の様式性をもって定型の美へと、そのポエジーを結晶化して見せた。その表象の内に宿るのは、未生の魂のような過剰なまでの含羞(がんしゅう)を帯びた或る種の<悔恨>である。しかしこの内省さらには内観の翳りある精神の産物が、今日の物質優先主義と化した時代に在って、人々の精神の拠り所として、更には観照の対象としての重い意味を帯びてきているという事は、もっと考えてみるに足る意味があるだろう。この軽くなってしまった時代が駒井哲郎を受容したのではない。この薄い時代の臨界が希求するようにして、駒井哲郎の遺した作品群を必要としてきているのである。
それを云い換えれば、時代がようやくにして駒井に追いついた、―そういうふうにも云えるかもしれないのである。