この仕事は、ゼブラ丸ペン、開明墨汁、KMKケント紙を用いて、印刷媒体に掲載されたさまざまな写真をモチーフとして制作しています。 丸ペンは線が均質で無機的なところがよく、線の長短・強弱・太さは、ペンの軸を持つ手の位置の変化や筆圧の強弱、スピードの変化、ペン先の摩滅度の違いなどによって描き分けます。 墨汁はニカワが入っているので少し光沢があり、インクの類にはない深みがあります。 ケント紙は墨汁の黒との対照が美しく、ペンのすべりもよいので選びました。 画面の大きさは、手の自然な動きによって描かれた線が、画面を構成する要素として一番適切な大きさ、ちょうど机の上に自然に置いた両手の内に入る大きさが一番似合っており、原則として印刷には原寸で使用できるように、つまり印刷物を手に持って見られる距離で描くようにしています。 画面が大きすぎても小さすぎても、線は不自然な運動になってしまいます。 モチーフを、眼の焦点を少しずらせて視ると、全体が混沌とした粒子の流れに溶け込みはじめ、表面の世界が異なった相貌を呈しはじめます。 その流れをできるだけ忠実に手の運動と共鳴させるようにして、線の束に写し変えていきます。 描かれた線によってモチーフを視る眼は次第に影響を受け、次の線につながり少しずつずれた輪唱のような眼と手の運動の一体感のうちに仕事が進められます。 線は交差しないという原則によって、それぞれの線は画面上に等しい価値を与えられ、全体の同時的な運動に加わっていきます。 眼と手(知覚と技術)の運動の緊張感と一体感にすべてを集中させ、他は無意識にまかせて仕事が進められ、ある飽和状態に達したときに1枚の絵が仕上がります。 そして次のモチーフでその続きが始まり、繰り返されて、繋がっていきます。 タブローを制作するという気持ちではなく、意図的なデフォルメや意味づけ、作為を排した減算法で、“視えるがままに”という方向は、自分にとってまだまだ未開で、無限の可能性のある領域だと思っています。
(「門坂流展 流紋」(1987年 INAXギャラリー2)カタログより) |