セルフレビュー 2013 「現代女性作家展“ f ”」 2013.9.9~28

現代女性作家展 “ f ”  9/9 ~ 28

 不忍画廊で紹介している女性作家全12名による企画展。
female,feminism,form,force,face…など異なる意味の単語頭文字  ” f ” からとった展覧会タイトルは、
多種・多彩・多様な12作家を “シンプルな一文字” で象徴しています。

<出品作家>
會田千夏、伊藤亜矢美、呉亜沙、坂本藍子、鈴木敦子、武田史子、 成田朱希、藤田典子、藤田夢香、藤浪理恵子、箕輪千絵子、横野明日香


《 1.會田 千夏 Chinatsu Aita》

―今まで私が題名として付けてきた名前は、 子供に名前を付ける様な感覚で、 それは願いごとのような意味を持つのと同時に、
描くこと自体に私的な願望などが含まれています。 しかしあるとき、何の意味付けも思い当たらない色と形のイメージが現れ始め、
それらを描くうちに、作品と自分との間に、過去の記憶や今まで未処理なままだった感情など、
いろんなことが色や形にリンクしてくる瞬間を感じるようになりました。
そのリンクする瞬間というのは、言葉として思い浮かぶのではなく、 匂いや温度、気配のようなものを感じる…という感覚です。
…はっきり説明できる言葉を持っていない何らかの気配に、
確かに在った…という存在を残しておきたい、確認したいという気持ちから、 それらの肖像・portraitを残す…という気持ちで描いています。


《2.伊藤亜矢美 Ayami Ito》

《 3.呉 亜沙 Asa Go 》
もしこの世界に生命がいなくなったら 世界の存在自体を自覚する者がいなくなる。
世界自体はそこにあっても 意味などを問うものがいなくなってはロマンも何もない。
子供を産んで 大きなうねりの一部を紡ぐ仕事をした気がする。

《4.坂本藍子 Aiko Sakamoto》

《5.鈴木敦子 Atsuko Suzuki》
日常の何気ない暮らしの中で 心に残った物たちを自分の中であたためて、
これからも作品に残していけたらと思います。

《6. 武田 史子 Fumiko Takeda》
―版画は技術があってこそですが、技術やマチエール作りに「こだわる」「頼る」のでは駄目なのだと思います。
技術が隠れて、絵が表立つということ。それが大切なのではないでしょうか。
奇抜さは無くても、派手さはなくても、なにか心の奥深く沁み入るもの。
長い時間、愛おしく思えるもの。 …それが私の目指す場所です。
(ニッシャ印刷文化振興財団 WEB「Art Meets Technology」コラムより抜粋)

《7.成田 朱希 Aki Narita》

 衣裳は時代や国といった現実を限定してしまう。 受け手の想像力に枷をはめてしまう。
裸は平等。
いつどこの人かなんて考えさせない。性もおなじ。苦楽がともなった枷だ。 だから、というわけではないと思うが、
私の絵には中性的な女の子が多い。天使・母子像・仏像、私が惹かれる人物像は両性具有的だ。
エロティックとストイックが共存した自由な身体には無上の美しさがある。

《8.藤田 典子 Noriko Fujita 》
―私は徹底的に細部の描写にこだわっている。 空想世界に存在する、モチーフになっている人物の衣服のしわや模様、
鳥の羽などを頭の中から少しずつ取り出し、 現実世界へ出現させるような感覚で描き込んでいく。
線や点刻など緻密に描く行為は、認識する単位としてとても小さく儚いが、 これらが細胞のように集積しイメージの世界感を構築している。 モノクロームの版画作品の中に摺りとられたインクの粒や盛り上がった線は、単なる行為の集積ではなく、
生命をもった細胞のような蠢(うご)めきを孕(はら)んでいる。
その一つ一つは自分を含めた現実世界に生きるいきものたちのざわめきでもあるようで、とても愛おしく感じる。

 

 

《9.藤田夢香 Yumeka Fujita》

《10.藤浪理恵子 Rieko Fujinami》
アメリカ上院議会が民間軍事会社 Black Water にイラクでの活動を依頼し、 Black Waterの社員(傭兵)が、
サークルトラフィックで出るのにもたついたイラクの一般市民の自動車および周囲にむけて銃を乱射する事件の報道を聞いた時から
一連の戦争にまつわるシリーズを作ろうとかんがえた。 かつて、原爆によって灰にされた命で染まったそして新たな命を蝕んだ黒い雨が、 今、Black Waterの濁流に姿を変え、新たな命を飲み込んでいる。 この黒い雨と黒い水という符牒で
このシリーズを、BLac Rine-Black Wataerと呼ぶ事にした。 このシリーズが、現在起こっている戦争のみならず、
もっと過去からの綿々と続く失われた命 被災者のみならず、 戦場におくられた兵士が人間性を潰され、
生きて戻っても自らの人生に立ち戻れない 恐ろしさと悲しさ、 戦死、被災死者として、
私たちの日常に電波にのって 数字で伝えられるその数の一つ一つに、個々人の顔があり、 Homeあり、
生涯その死を悼む人たちがいるという極当たり前のことを、思い起こす事ためのものであれと願う。

《11.箕輪千絵子 Chieko Minowa》
文化や慣習を超えて、人々の血潮に刻まれた記憶のようなものを、再び長い時間をかけて銅版画として刻み込む。
銅版画の制作過程が、まるで儀式のようだと感じている。自分が生きるために必要な儀式を、画面の中で再現する。
腐食や刷りといった、自分の感覚から離れていくような行為によって、 人間臭いものから神聖なものへと昇華したい。

日常の中で、生きることから切り離されているような気がしてしまうときがある。
正面からそれを見据えたいけれども、目を背けたくなる。だから絵にする。 少しでも受け入れられるように。

《12.横野明日香 Asuka Yokono》
どこにもない風景 流れるようなストローク、絵の具の重なりは、 一見どこかの景色を映し出すかにも思えます。
しかし、私の身体を通って出てきたそれは、私自身の意識の及ばないところで 独自の空間を創り出します。
時には風のように、時には落とし穴があるかのように、時には思い出のように。
自分の意識とのズレのようなものを、受け入れ、むしろそこが重要と考えます。
具体的に言うと、私は一度描いたものの上から、描きなおすということをしません。
予想外のことが起きても、それを受け入れ、描き上げます。
そのことは幸いにも、絵の具の発色や、タッチを活かすという点についても助けとなります。
見たことのあるようで、どこにもない、緊張感のある、そして美しい風景を、 自分の“手”によって作り続けたいです。