箕輪千絵子展 “言葉を得た牛”:会場風景

聖なる獣人はいつも、人の身体に動物の顔を持つ。彼らは神聖な生き物であるが、人間の身体というものが神聖さを持つのだろうか。
一方、件は獣の身体と人の顔を持つ。件は決して神ではなく、妖怪と位置づけられており、奇妙で崇められることはなく、ただ不気味な存在なのだ。獣の身体を持つことは何故か醜い。けれども、それは人間そのものの姿のように私は思う。

神聖な獣人は、私にとっては他人のように遠い存在であり、相容れないものだ。
崇高さへの憧れでもある。
件に憧れたことは一度もない。「こうはなりたくない」と思いながらも、あの形が頭の中に焼きついて忘れられない。きっと奇妙で醜いものは魅力的なのだ。

箕輪 千絵子



↑ 左:「心臓の音が聴きたい」2010年 エッチング、雁皮 80×67cm
右:「生れ出づることは」2008年 エッチング、雁皮 80×67cm


↑ 左:「神のつかい」2013年 メゾチント、雁皮 20×15cm
右:「見てはならぬ」2013年 メゾチント、雁皮
ルーレットという道具を使ったメゾチントの作品。目立てる面が少ないため、ドライポイントの線のような荒くも有機的な黒地になる。
少し怖いけれど、ユーモラスにも見える箕輪作品の魅力(魔力)。

↑ 左から:「覆い隠す」43.2×33㎝ 「回帰」24.2×33.3cm 「浸食」36.5×30cm 「享受」36.5×30cm
全てパネル、和紙、銅版画に水彩、2015年制作

↑ 「最初で最後の一言」2014 エッチング、雁皮 20×29cm
右は原版と愛用の道具類。使いこまれています。

↑ 上:「何も言わなかった」2014年 エッチング 15x13cm
下:「言葉を与える」2013年 エッチング、アクアチント、雁皮 14.2x14.2cm

↑ 左から「KUDAN Ⅲ」「KUDAN Ⅱ」「KUDAN Ⅰ」
全て パネル、和紙、銅版画に水彩、色鉛筆 15.8×22.7cm 2014年制作

↑ 左から:「何故この場所にいたのか」2015年 エッチング、雁皮 24×20cm
「ずっとこの場所にいたのか」2015年 エッチング、雁皮 24×20cm
「食」2013年 エッチング、雁皮 55×39.8cm



↑ 左:「なんだか死にそうにもない」2013年 パネル、和紙、銅版画に水彩 36.5×51.2cm
右:「吠える」2015年 パネル、油彩 41×31.8cm
と在廊中の箕輪千絵子さん

本展ではブックレットも刊行
巻頭には美術評論家の相馬俊樹氏による評が寄せられています。
全文は下記リンクより。
聖闇の彼方へ 箕輪千絵子の件について
 件という妖怪は、人の顔をした牛、すなわち人面獣である。これは、動物の顔に人身といった獣面人にくらべ、動物性がより強く際立った印象を与えるだろう……..