「山田純嗣×小金沢智 往復書簡<絵画をめぐって>」007

山田純嗣 様

世代や時代背景と作品との関係を安易に結びつけすぎて思考停止にならないようにしなければならない。おっしゃるとおりですね。ただ、これは作家にとっての制作だけにかぎらず、批評家にとっての評論も同様で、それらと無関係に生きることはきわめて難しい。本人が望むと望まざるとにかかわらず、人はある時間と空間の中で生きていて、それが作家であれば作品の中に、あるいは制作態度として大なり小なり滲み出るのでしょう。

山田さんの1995年前後のお話、要点と思えるところをいくつか整理しておきたいと思います。過酷な倍率の美大受験で石膏像の木炭デッサンと人物モデルの油彩を経過しながら、大学の授業では裸婦を描いてばかりだったこと。一方で、対照的に、上級生から「これがアートだ!」と国内外のコンテンポラリーの作家を紹介される。「先行世代やイケてるとされる先輩」が発表する大掛かりな作品と学内での裸婦とのギャップはつまり、当時最先端の「アート」とされていたものと、古典的な「絵画」とのギャップでしょうか。そしてそのモヤモヤの中での、奈良美智をはじめとする具象絵画の作家への注目。しかし山田さんが初めて版画に取り組んだ1995年には、まだそのような土壌にはなっておらず、山田さんはメタ的に絵画を考えることを、版を通して行なうようになっていく。山田さんとは数世代上になる1941年生まれのジグマー・ポルケや、1932年生まれのゲルハルト・リヒターたちの仕事に対するシンパシーも興味深いです。
そして、まさかここで山田さんの口から李禹煥が登場するとは!というのが前回のメールでの一番の驚きでした。写真に描写を重ねる作品をはじめた際、その倣いの対象としてもの派的な「出会い」があったとは思いもよらなかったのです。しかし、お話を聞いてよくよく考えてみれば、山田さんの口からもの派が出てくるのも、それほど不思議なことではない。もの派にとって「出会い」は最も重要なキーワードであり、その作品は自然物と産業用品を出会わせるというものでした。それは「作らない」ことを積極的に作品に取り入れ、既にあるもの同士を組み合わせるということであって、そのような、美術が描くことをはじめとして「作ること」それ自体を解体していく過程が日本の60年代から70年代にかけてあった。そこでは、「作らない」ことを通して「作る」ということはなにか、が問われていた。すなわちメタ的であったということですから、山田さんの活動初期からの関心として絵画それ自体を考えるということがあったことを考えれば、むしろ筋道としてはとてもよく理解できます。現在のシリーズ〈絵画をめぐって〉のように、絵画を通して絵画を考えるというのとは違うわけですけれど、そこには「絵画を考える」という意味での、非常に一貫したものがある。
もちろんここでわかったふりをしてはいけないのですけれど、その「出会い」に倣おうとしたとき、山田さんが「置いた」のが、もの派的な自然物や産業用品ではなくして、「白いテーブルクロスを敷いた卓上にスーパーで売っているカボチャ」であったのはなるほど、時代ですね。音楽もそうでしたし、あるいは写真の分野ではより顕著に「日常」や「等身大」が求められ、表現されていたように思います。たとえば既にベテランでしたが荒木経惟の再評価が進むのが1990年前後であり、1990年代後半にはHIROMIXや佐内正史といった新世代の写真家が台頭していく。あるいは、1995年に始まったアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」(テレビ東京)の主人公碇シンジは、まったく主人公然としないひ弱な男の子で、当時彼と同い年だった十四歳の僕はそこにリアルを見たものです。それらに共通するのはすべからく「日常」であって、その「日常」には「等身大」の「生」と「死」がありました。

「思い出話」以上に、じっくり考えてみたい材料を沢山いただきましたが、ここを掘り進めていくと話が山田さんの作品から外れていってしまう可能性もあるので、戻す必要がありますね。第4信で山田さんは、ペインティングを試みることができずにいるけれども、悲観的になっているかどうかはわからないと書かれています。今回も、一向にカンヴァスに一筆入れてみるということには近づいていっていないようにも思えると書かれている。今回の個展で山田さんはヒエロニムス・ボスの《悦楽の園》を3年がかりで完成されて、あの作品はとても大変な仕事だったと思うのですけれど、それを完成させたということからの今後の展開というものを、「カンヴァスに一筆入れてみる」ではないですけれど、ペインティングを試みることができずにいるということとも合わせて、どのように考えておられるのでしょうか?
個展の終了まで日が近づいてきましたので、今回発表された作品の話、今後の展開について、もうしばらく話をしていければと思います。

小金沢智