小金沢智 様
小金沢さんからの前回の返信に「既視感」という言葉がありましたが、僕の日本橋髙島屋美術画廊Xでの最初の個展のタイトルにも「既視感」という言葉を使った事があり、あ、と思いました。これは前回の最後の質問の〈絵画をめぐって〉シリーズを始めた発端とも関わりがあって、自作の図像に対する既視感を探った事が、過去の絵画をモチーフにする事に繋がっていったのです。今の作品は過去の作品の上に成り立っている。そう思ったとき、その事を無視できなくなったというか、作らないと気が済まなくなってしまったのです。それが、《(09-7) UNICORN IN CAPTIVITY》でした。この作品はそういった思いが強かったので、完成には1年かかってしまいました。
あと、小金沢さんの返信の中に〈「向こう側の世界」へ行ってみると作者が二人いる。〉と言う部分がありましたが、その想像は面白いと思いました。確かに「向こう側の世界」と考えるとそんな風に思えますね。ただ、僕が考える絵画を通して触れる世界というのは、こちら側とあちら側という2つに分かれたものとも違うのかもしれないと思ってもいます。先日展覧会のステートメントにも書いたのですが、「死んでいるのか、生きているのか」の部分にあたる事で、どちらも内包しているものが世界なのだと思うのです。
ちょっと話が抽象的な方向に行きそうなので、ここで今日あった事に話題を変えますね。
今日、大学時代の同級生で作家の佐藤克久さんから、先日彼が出品していた国立国際美術館の「リアル・ジャパネスク」展の図録をいただきました。僕はその展覧会も見に行って、彼のトークも聞いてきました。彼は近年絵画にめざめていて、抽象、具象を問わず発色のいい開放的な作品を作っています。
同年代で同じ大学で過ごしたので、彼の学生時代の状況もよく知っているのですが、それは同時に僕の状況とも共通しています。その図録にある中西博之さん(国立国際美術館)による佐藤氏の作家解説が、その状況を分かりやすく書いてくれているので、ちょっと長いですが引用します。
「日本の美術家のなかで1960年代後半から70年代前半生まれの世代の美術家は、先行世代や後続世代と比べて非集団的である。60年代前半世代の活躍を目の当たりにするとともに、欧米美術のイズムからアートへの変化にも直面したはずで、制作上の目標設定のむずかしさを感じつつ、自ら学び考えて道を切り開くしか、ほかに方法がなかった世代とも言える。73年生まれの佐藤克久は、まさにそうした世代の美術家であり、宿命としての美術状況と自分自身に向き合い制作を積み重ねてきた。佐藤は美術大学で油彩画を専攻するが、学生時代以来ずっと絵は描かず、国内外の様々な美術家の現代美術作品を独学で研究し、吸収したものに基づく作品を制作してきた。…」
学生当時、彼と同級生だった僕も、またほかの同級生もほとんど絵を描く学生はいない状況でした。でも逆にそれによって絵とは何だろうと考えるようになったのだと思います。ただ、彼と僕とでは制作のアプローチの方法や、できる作品の見た目も違うし、もちろん性格も違うし、あまり交友関係もかぶらないので、彼からはぜんぜん違うよと言われてしまうかもしれませんが…。
彼の場合は、絵の制作の中から絵について考えている。絵を描くプロセスによって絵について考えているのではないかと思うのです。絵の中から外の世界に触れている、開かれているような印象を受けます。
僕はまだ彼のようにペインティングを試みる事ができずにいます。「できず」と言ってはみたものの、それで悲観的になっているのかどうかは自分でも分かりません。そこについてはまた次回以降考えるとして、今回はここまでにしたいと思います。
山田純嗣