森への手紙 2018 羊皮紙(古文書断簡)、ペン、色鉛筆、カワセミの羽根 185 x 175mm
【コメント】
下山追想
二〇〇七年八月の富士を手始めに、門坂流とは何度も山へ登った。版画ではなく、山がつないでくれた縁といっていいかもしれない。
彼は「山と渓谷」のイラストを長くやっていたせいで登山のキャリアがあり、富士に登る前は初心者の二人(多賀新、建石修志)にあれこれ、先輩顔のアドバイスを投げかけていた。
頼もしいと思ってそばで聞いていたが、いざ登り始めるとたちまち最後尾に落ち、ゆうべ飲み過ぎたと酒臭い息を切らしてはへたりこむ。大丈夫かと心配になったけれど、持ち前のしぶとさで登頂を果たし、それからは毎回そんな具合にあえぎながらも南は屋久島縦走、北は鳥海山と遠征し、土地の酒と温泉をともに愉しんだ。
登りはめっぽう弱いくせに下りは達者で、足腰のバネをきかせ、おどろくほどのスピードで山を下りる。そのくせ並外れた方向音痴ときているから、猪突してルートを外れ、あやうく迷子になりかかるということもあった。
そこで「下山」という号を奉った。
門坂下山。どうだい、海原雄山みたいでかっこいいだろうと水を向けたら、ちょっとはにかんだ顔で「なんの自慢にもならないよ、下山しに来るんじゃないんだからね、登山なんだから」とぼやいた口調が忘れられない。張りと抑揚のあるいい声をしていたことも書きながら思い出す。
門坂下山先生はいまもしぶとく山を登り、すばしこく下っているだろうか。もうたまにしか登山をしなくなってしまったが、山道の分岐で一息ついているときなど、目の前を韋駄天走りに下っていく彼とすれ違いそうな気がする。