荒井一章: 斎藤真一との出逢い

荒井一章

2013年1月開催「初期名作と瞽女・さすらい」展は、私が最初に斎藤真一と出逢った頃の作品から始まっている。
当時サラリーマンをしていた私は、脱サラを考えていた。銀座の画廊歩きが日課であった。文藝春秋画廊で出逢ったのが斎藤真一の絵であった。1963年であった。文藝春秋画廊は貸画廊ではあったが、当時としては格式の高い画廊で、誰でも貸す画廊でなく作家を選んで貸していた。徳田さんという担当の方がおられた。有名な小説家 徳田秋声の息子さんで、この人のOKがあれば、貸して貰えたのである。斎藤真一は文春画廊で何回も個展を行っている。伊東の高校の美術教師をしているので、毎日画廊に来ているわけではない。私が訪れたときは、留守番は誰も居らず、ひっそりとしていた。長い時間いて、私は人生で初めて絵を求める決心をしたのである。一週間後、オートバイに乗った斎藤真一がやってきた。オートバイも着ているものも黒ずくめ。日焼けの顔にサングラス、文春画廊での絵のお礼に来ましたと云って頭を下げた。
そして続けて云った。私の絵を買ってくれませんかというのであった。今日もこれから越後へ向うのですが、瞽女さんと会いに行くのだと云って越後瞽女の話を始めた。盲目の女性で三味線を弾いて唄をうたって旅をする人達がいることも初めて知った。瞽女の調査にすっかりのめり込んでいて、休日にはオートバイに乗って伊東から越後へ出かけていると熱っぽく語った。
あとで知ったのだが、斎藤真一の瞽女宿めぐり、「越後瞽女日記」というライフワークに力を貸した人は何人もいた。私もその一人となったわけである。
今回の初期の作品を見ていると50年前の斎藤真一の日焼けした顔、額にたれた髪をかきわけながら一語一語ていねいに語る姿をしきりに思い出してならない。そして、50年前、この不忍画廊と同じビル二階にあった画廊のオーナーK氏も、斎藤真一に力を貸した一人であったことを思うと不思議なめぐり合わせを思わずにはいられない。

(不忍画廊会長)