谷川晃一: 斎藤真一の「道 」

私が東京から伊東市に転居したのは今から16年前のことだが、伊東市に住むようになって、斎藤真一がこの土地の人々にとって,特別の画家であることを知った。

斎藤真一は『伊豆の踊り子』に憧れて伊東に教師として赴任し、伊東高校で18年も長きにわたり美術と書道の教鞭をとっていた。このため彼の教え子だった人は今でも驚くほど沢山いる。彼らは異口同音に授業を受けたことを懐かしがり、「私は先生を知っている」と誇らしげに語っている。伊東高校は美術の専門学校ではなく普通の高校なので画家になっている卒業生は少ないが、斎藤真一のファンやコレクターは多い。

1995年の春、『思い出の伊東』と副題を持った『斎藤真一の世界展』が伊東市の池田二十世紀美術館で開かれたが、その出品作の半数以上が地元のコレクターが所蔵しているものであった。それも数人のコレクターが沢山の作品を所蔵しているのではなく、微笑ましい事に多くの人が1,2点ずつ斎藤真一の作品を大切にしていたのである。この展覧会にはまた、『残暑の伊東漁港』『宇佐美の家』『大室高原』『初島』など斎藤真一が描いた伊東の風景が数多く出品され地元の人々を喜ばせたが、ただ一つ残念だったのは、作者がこの展覧会の半年前になくなってしまったことであった。斎藤真一は私にも「来年の伊東の展覧会楽しみなんですよ」と語っていたにもかかわらず、淋しいことに会場には姿がなかった。

ところで私は23年前にこの画家と対談したことがあるがその折、彼はフェリーニの初期作品『道』が好きだと言い主題歌「ジェルソミーナ」を口ずさんだ。アンソニー・クインとジュリエッタ・マシーナが演じた大道芸人。彼らのそこはかとない哀しみと寄る辺ない淋しさはそのまま斎藤真一の描き出す世界だ。

若き日、斎藤真一はヨーロッパでさすらいの旅に身をまかせた。「自分がジプシーになった気分で」と私に語ったことがある。さすらいの旅の中で旅芸人や放浪の民と一人旅の自分を重ね合わせ、センチメンタルな詩情に思う存分に浸りつつ彼は毎日スケッチをしていたに違いない。さすらいの旅はまさに斎藤芸術の原点を形成するものであった。

そして「道」だ。フェリーニの『道』も題名通り「道」が舞台だったが、斎藤の描いたヨーロッパの風景にも、瞽女のシリーズにも淋しくものがなしい「道」が数多く描かれている。彼が好んで描いた「道」は風まかせの心細いさすらいの旅人のいる無名の田舎の道だ。

斎藤はこの「道」をゆく人々を前からよりも、背後から描いている方が多い、つまり立ち去ってゆく人の姿に、より深い哀感と詩情を感じていたに違いない。

むろんこの画家は伊東時代にも「道」をモチーフにした佳品を何点も残している。先に記した『想い出の伊東』展のカタログの表紙には『晩秋』(鎌田風景)という作品が掲載されている。伊東から中伊豆に向かう田舎の道をたった一人、遠くに去っていく人が描かれている。私は作者不在のこの展覧会場でこのカタログの表紙をみたとき、この絵の去り行く人こそ、作者・斎藤真一その人に思えてならなかった。

2004年8月記
(たにがわ こういち/画家)