1963年、私がサラリーマンをやめた年、銀座の画廊で斎藤作品と出逢い、この画家に魅せられてしまった。ヨーロッパ旅行より帰国しての個展であった。静岡県伊東市の高校の美術教師をしていた。
上野・不忍画廊にやってきて「パリでフジタに会い、良き時代の日本は東北に残っていると教えられ、越後瞽女にたどりついた」という。その探究にのめり込んでいく。民俗学の領分でもある。この瞽女の取材旅行費の応援をたのまれた。毎月、絵を置いてオートバイで越後へ向かった。みずからの足で得た瞽女さんとの交流の話は尽きることのない面白いものだった。東北に陽の当たる時代の先がけともなっていったのである。私の義父・木村東介は、この時期斎藤の画業を大きく展開させて今に至っている。
斎藤の絵の根底には郷里岡山の先達国吉の憂愁、夢二の情念があり、尊敬するフジタの巧緻をめざしている。
「空気を描ける画家になりたい」と斎藤真一はよく言っていたものである。
不忍画廊会長 荒井一章
「池田満寿夫と斎藤真一と長谷川利行展」(2014.4.14~5.2 不忍画廊 案内状より)