1.図像の復活
ぼくは最近、芸術とかファイン・アート、あるいは絵画といった用語に飽きている。その代り、図像という言い方の方に、限りない興味を抱く。
なぜそうなのかというと、絵画なる表現に込められた世間一般の意味は「テーマ」ということだと思うからだ。一つの絵画が存在するとき、その存在理由(レゾン・デートル)はとりあえず、描き手と描かれる対象とのあいだに生じる関係の顕在化-つまり<意図>にある。それは、何を描くか(対象の選択)と、どう描くか(方法の選択)の二つを総合し、何を表現するか(意図の顕在化)という課題を明瞭にするからである。これを美術的な用語に置き替えると、「テーマ」ということになる。テーマは絵画であり、テーマを描くと者は画家である。他方、「何を描くか」という問題だけに満足する者は「画題」の模倣者となり、「どう描くか」だけにこだわれば「流派」の継承者となるだけのことである。そして彼等は画家とは呼ばれず、絵師と名づけられるだろう。
しかし、テーマを描く人々に対して一種の苛立ちを感じるのは、テーマなる概念が実は描くことの第一生成物である「図像」とは何の関係もない、という紛れもない事実の為である。言い換えれば、すべての色や形(いまこれをひとまとめにして、図像と呼ぶか)は意図やテーマのために存在するのではない、ということなのだ。
事情は、むしろ逆であろう。
図像が先にあって、しかるのちに意図なりテーマなりが生まれるのである。単に図像を描くことだけに熱中する人々を絵師と決めつけるのであれば、その絵師こそが実は図像の謎を語るべき人々なのである。
一例に、「幻想絵画」を挙げてみよう。ふつう幻想絵画は、妖精画だとか地獄絵だとか鳥獣戯画のような想像力あふれる画面を指し、ほとんどの場合に描き手の想像力だとかテーマ性だとかが鑑賞のポイントとなる。しかしよく考えてみると、幻想絵画の幻想的たる所以は、別にテーマだとか創造性にだけ由来するわけではない。早い話が、いくら<妖精画>と銘打っても、ごく普通の人間を描きあげるだけでは幻想絵画にはならないのである。
しかし、にもかかわらず、なぜアートやテーマが尊重されねばならないのか。その主だった理由は、基本的に西洋ルネサンス期以降の発明である新しい絵画芸術論と技術の進展普及による。このときにいったい何が発明されたかというと、哲学概念とか難解な教養を理解するのに「視覚」を利用する習慣である。もっと端的にいえば、活版印刷術の普及と、それにともなう読書の成立である。この場合、活字は記号として、図像はその挿絵としてたがいに協働しあいながら一冊の書物をつくりあげた。そして絵画は、書物として造りあげられた図像なのである。
だから当然、図像だけを「書物」から切り離すことには問題が出てくる。なぜなら、それは「書物」そのものではなく、単純な挿絵にすぎなくなるから。
絵画史を眺めていくと、19世紀末から始まる装飾芸術復活だとか、前衛芸術の提唱といった流れが目につくのは、それがいずれも図像にこだわる姿勢を示したからだと思われる。すべての絵画はテーマではなく図像に端を発する。この、ごく当たり前の話がもういちど意味をもちだしたということだろう。
2.図像の基本問題
ところで、図像すなわち色と形を表現することを天職とする絵師たちにとって、根本的な関心事とは何であろうか?ひとつは、図像と呼べるものを構成し得る最小の単位というか、図像の原モデルのことだろう。換言すれば、点と線の問題である。
まず点について言えば、これは図像の中にあって「位置」とその「重要度」とを表現するために用いられる。重要度という言い回しが具体的でなければ、「濃度」と呼んでも差しつかえない。しかし点は、原則として互いに交流のない単子(モナド)であるから、ライプニッツではないが、外を眺める「窓をもたない」ために、それ単独では図像の一部を直接的に形成する要素とはなり得ない。なり得ない、というよりも、なりようがない。なぜなら、自身と全体との関係が見えないのだから。
その代わり、点は多数集まると「大数の法則」が働いて、全体としてひとつの形を表現するようになる。しかも各点にそれぞれ濃度という個性をもたせれば、出来あがる全体図像はさらに複雑な表現物となるだろう。
つまり、点はデジタル単位なのである。これに対し線は、方向性ないし運動性という別の要素を所有しているために、連続を保持しうる。線は力(エネルギー)であり、アナログ単位である。1876年にブランは「この世の光景を規定するのは直線であり、崇高な場面には必ず直線が君臨しているように見える。曲線とはすなわち直線の一変種にすぎぬ」と述べ、またあのモンドリアンが「自分の絵画から徐々に曲線を追放し、最後には平行線と垂直線しか残らなくなった。この両者が交差して、たがいに分離独立するのである。海や空や星を観察するとき、わたしは平行線と垂直線が無数に交差するイメージを通じて、造形機能を解明する努力をした」と書いている。
線はさらにカンディンスキーにより、形を生みだす全要素の基本と位置づけられ、平行線は「冷」を、垂直線は「温」を表現する「図像のユニット」と定義された。すなわち、垂直線はわたしたちを興奮や熱狂へとみちびき、平行線は平穏や冷静へと方向づける、というのである。たとえ話をするのが早道かもしれない。凹刻銅版画に、スティップル(点刻)とライン・エングレーヴィング(線刻)という二種の彫り方がある。前者は文字どおり、点を穿っていって、その丸い窪みにインクを乗せて刷る。一方、線刻のほうは線状になった窪みにインクを乗せる。一方には点が、もう一方には線が刷りだされる。
さて、この両者でそれぞれに画像をつくると、どういうことになるだろうか。まず点刻は、輪郭線を鮮やかに区切るということができない。二次元的表現が巧みではない。その代わり、空とか風景とか、あるいは塊り(マッス)のようなものを三次元的に表わす方法としては適している。たった一本の線で内と外を分ける力には欠けるものの、事物の微妙な変化をとらえることに長じている。
また色彩に関していえば、点刻はそれ自体他者と関係をもっていないから、本来の純粋な色彩を保持できる。たとえば青と黄とを印刷する場合、点刻ならば二つの点におのおの青と黄とを差すことができ、これらは混じることがない。
しかし線刻では、青と黄はその交点で必ず混じってしまい、暗い別の色彩に変化する。だから、もし仮に線刻銅版で青と黄の二色を刷りだそうとすれば、版自体を二枚使って、二度刷りしなければならない。他方、点刻銅版の場合では、同一銅板を使っても、色を差し別れば二色印刷は可能となる。したがって、カラー印刷全盛の現代では、この点刻技法をベースとしたオフセット印刷があらゆる場面で利用されている。周知のように、オフセット印刷をルーペで拡大してみると、小さな網点の集合から全体画面ができあがっている様子がよく見える。
それに比べ、線刻表現を残す印刷物といえば、今でも紙幣や証券だけになってしまった。一万円札はカラー印刷にちがいないが、本や雑誌のそれとはどこか違う。なぜ違うかといえば、お札の色彩はあくまでも線で表現されたものであって、点の集まりであるオフセットと本質的に表現法を異にするのだ。
その意味からすると、現代はすべての表現が点へと移行し、デジタル化の方向をたどりつつあるともいえる。こうした情況化にあって、テーマでなく図像にこだわり、点でなく線にこだわってみることの重要性は明瞭となる。つまりこれらは、ある作為的選択によって棄てられた表現なのである。昨今、巷では印刷物の黒い線が弱くなったと嘆く声をよく耳にする。しかしこの嘆きは、デジタル表現を選択した現行の図像複製文化にとって、最初から予定されていたことなのである。本年、線刻銅版術とその応用を実践する唯一の職能集団、大蔵省印刷局が「凹版による世界名画復刻」シリーズを刊行した事情も、アナクロニズムではあるにせよ、故なしとしないわけだ。
3.門坂流の平行線
しかし、以上のような話を、ぼくはなぜ長々と語らなければならなかったのか。いうまでもなく、門坂流は線によって世界を再現しようとする絵師-ぼくはこの言葉を「描き手」という意味に用いる-だからである。
門坂流の作品に一貫する本質は、いうまでもなく線による図像の産出にある。モンドリアンやカンディンスキーのように、彼にとって線とは、何よりもまず図像を構成するための最小にして唯一の要素にほかならない。しかも彼の線は、「原則として交差しない連続した平行線」から形成されている。
交差がない、という方針は、とりわけモンドリアンとの対比を感じさせるだろう。モンドリアンとの十と十の画面-すなわち垂直線、平行線の交差から成立する画面では、空間にふしぎな緊迫感がある。これは、われわれに興奮の感情である「温」を湧出させる垂直線が存在するためだ。ところが門坂流のほとんどの作品には、交差を生む垂直線がない。カンディンスキーの分析的表現によれば、安らぎをもたらす平行線のみから成り立っている。おそらくその通りであろう。ここに集められたおびただしい量の作品が、いずれもきわめて繊細な「線」による表現に終始し、ややもすると神経を苛つかせる微細性に富んでいるにもかかわらず、見るものに限りない安らぎを感じさせるのは、間違いなくそうした理由による。
門坂流が平行線を採用した直接の理由は、おそらく水であろう。流体であろう。彼には流体が、あまたの平行線からかたちづくられているように見えた。流体は、勢いと方向性をとりわけ大きな要素として所有するから、平行線の選択は当を得ていたといってもよい。そしておそらくこの視覚は、渓流か清流のような、山ふかい谷間の水を原イメージとしているにちがいない。
その意味からすると、海を平行線と垂直線で視たモンドリアン、池を点の集合として眺めたモネなどとの対比をも試みたくなる。一般に海は、とりわけ渚や磯では、寄せてくる波と打ち返す波とが巨大なせめぎ合いを行ない、流れの方向を明確にする川とは異なった流体の運動を惹起する。それはむしろ、モンドリアンが見たような、垂直・平行両方向の混淆として図像化されるべきものではないだろうか。
また他方、モネが水蓮のかなたに見た池は、流れのない水―つまり止水である。止水ではマッスとしての流体が存在するばかりで、そこに運動や方向を感じさせる要素は生まれない。モネがこれを点描に近い形で描こうとした気分は、よく分かるのだ。マッスを表現できる図像構成要素は点である。点がモネを生んだ。というよりも、彼は水蓮を見ているうちに、必然的に印象派の技法を想定できたのである。
図像の喚起力とはそういうものだ。だから門坂流の場合でも、たとえば海を描くにしても、ヒトデやイソギンチャクがいる岩場の水の流れに着目した作品が、とびっきり印象に残る。海とはいえ、このような岩場では、下から差してきた海水がタイドプールを洗うと、潮は高みから低い方へと、まるで急流のように流れていくからだ。ぼくもまた、このときの透明な海水の流れが好きだ。それは一般的な海を思わせない。
4.門坂流のオブジェ
次に、門坂流がいったい何を描く絵師であるか、という点について触れたい。
氏はつねづね、「視えるがままに描くことの可能性」を論じておられる。
視えるがままに描くとは何か。
かつてなら、それはリアリズムとか写実主義と呼ばれたにちがいない。しかしそれらは本来は「あるがまま」を標榜したものにすぎなかった。「あるがまま」というのは、さらにいえば、対象のことではなく「テーマ」の問題ともなる。なぜなら、「視えるがまま」ならば対象に即しているが、「あるがまま」というときには対象がいちじるしく歪められるからだ。つまり、「あるがまま」のあるという言い方自体が、すでに思弁性をもつからである。あるというのは図像でなく、思索の対象なのである。なぜなら、それはすなわち「テーマ」であった。しかし、すでに述べたような経緯から、門坂流は「テーマ」の画家ではなく、描く機械=絵師であると思う。この言い方は決して卑下ではなくて、新しい形の称讃、それも最大級の称讃であると受け取ってほしい。というのは、繰り返すように、テーマとは図像プロパーではなく、図像と言語とが合作した「書物」であるからなのだ。
しかし、われわれがここでこだわっているのは「書物」ではない。その内の挿絵の部分、つまり独立した図像自体なのである。
そしてわれわれはまず、彼がどう描くかという問題を、線に托して語ってみた。次は何を描くか、を問う番である。
一見したところ、門坂流という絵師は、流れや器物や道、あるいは動物や植物といった「モノ」ないし「オブジェ」を描く人のように思える。これら静物=生物ものの絵師は、ときによると「風景画家」と同様のくくり方をされる可能性がないでもない。しかし、ロマンティックな風景画の美意識の原点をきずいたジャン=ジャック・ルソーあたりを例にとれば、二つの特質がそこに封じこめられていると考えられる。
一つは、人間嫌いの感性、である。人間嫌いのゆえに、人工物を嫌い、都市を嫌う。したがって、そういうもののない自然や自然物に愛着を寄せる。
二つは、細部でなく全体を感覚するという視点である。
一番めのポイントについていえば、たとえばルソーは極端な人間不信におちいっていたし、ジュネーヴのごとき管理体制ユートピアを嫌って、自然状態の神話やら、野生の幸福を喧伝した。しかし、この点に関する限り、ぼくは門坂流の人となりをまったく承知していない。しかし氏は、ルソーのような極端な人間嫌いではないと思う。
とすれば、二番めのポイントを考える必要があるだろう。細部でなく総体。ロマンティシズムの最重要点の一つは、この総体への関心であった。ロマン派風にいえば、一者とか一体とか、万物照応といった単語に移し替えできるだろう。現にJ.=J. ルソーはひどい近眼で、風景を見るときにすべてがおぼろに映ったものだから、まるで印象派のように全ての風景を総体として眺めるしかなかったという。ある意味で、「点」的な感性である。
では、門坂流はこの部分にどうあてはまるか。無意識にまかせて描く、という点では、たしかにルソー的である。
「モチーフを、眼の焦点を少しずらせて視ると、全体が混沌とした粒子の流れに溶け込みはじめ、表面の世界が異なった相貌を呈しはじめます」と、氏は「私の仕事」という最近の小文の中で書かれておられる。「描かれた線によってモチーフを視る眼は次第に影響を受け、次の線につながり少しずつずれた輪唱のような眼と手の運動の一体感のうちに仕事が進められます」とも、書いておられる。
これでいよいよ氏が第二番めのポイントに該当する「ロマンティックな風景絵師」と思えてくるわけだが、しかしぼくにはもう一つ、ウンと言い切れないものがある。それは、ひとことでいえば、「それならばなぜ、氏は、線によって描くことを選ばれたのか」という疑問である。
ロマン派絵画の一般的印象を述べるとすれば、それはむしろ線よりも点である。茫然としたマッスを捉える大きな視線である。現に、18世紀末にロマン派絵画が流行した際、その原画の複製を作るテクニックとして最も多く用いられたのはアクアチントやメゾチントのような「線」よりも「面(プレーン)」を強調する手法だった。面は、ある意味で点の集合(シグマ)ともいえる。
そうだとすると、門坂流の仕事について「何を描くのか」という問題に端的に回答する言葉を、ぼくはいま「博物学的」という用語にしか取り纏められない。
氏の仕事は、すぐれて博物学的であるのだ。西洋の博物学は、ロマン主義が盛えたのとほぼ同時代に、科学の中の明らかな美学趣味として隆盛を迎えていた。しかし博物学の視点に特徴的だったのは、細部を見るという姿勢であった。これを観察とも記述ともいう。
観察の方法論が、たとえば図像に反映した場合、どういうことになるか。良い例が博物図鑑である。花なら花、鳥なら鳥を標本図版とする場合、絵師は部分部分に目を凝らし、細部を酷明に写し取る。裏も表も前も上も、すべてが舐めるような視線に犯されたあとで、一枚の図版が成立する。もちろん、左向きの図が描かれた場合に、右側半分が画面にないが、それはたまたま描かれなかったというだけであって、それ以前の階段―すなわち視線による細部観察は完了している。
これはまったくリアリズムでも自然主義でも写実主義でもない。そこに存在する「モノ」を徹底的に犯して、「視えるがまま」に描くことだ。視ることによって、もはや対象は「あるがまま」ではあり得なくなる。
こうして再現された門坂流の図像は、単純なリアリズムの「あるがまま」ではなく、博物学的な「視えるがまま」となるのである。氏が、「視えるがままにという方向は、自分にとってまだまだ未開で、無限の可能性のある領域だと思っています」と語られる言語を読むにつけ、ぼくは博物学的な観察行為の巧まざる復活を感じざるを得ないのだ。
博物学での観察行為には、その対象に名前を与えるという窮極の作業が介在する。この作業を、ぼくは神の御業と同等の途方もない行為だと思っている。
では、博物学的に描くことの窮極とは何か。舐めるように、犯すようにして細部を眺めまわし、その意味では最大最高の作為やデフォルメを対象に加えておきながら、結果としてそこに無作為の図像が成立すること、それ自体であろうと思う。「視えるがまま」が、一転して「あるがまま」を錯覚させる。この快感であろうと思う。
門坂流の全作品を一瞥するにつけ、そんな気分をいよいよ確かにする。
P.S. 氏が、ゼブラ丸ペン、開明墨汁、KMKケント紙を用いて、これらの作品を描かれていることを、近頃知った。とてもほほえましかった。というのは、ぼくも中学生の頃、氏とそっくり同じ道具を使って、少女マンガを描いていたからである。
(「門坂流作品集 風力の学派」(ぎょうせい刊)より)