堀内康司さん(1932-2011)を知っていますか。
不忍画廊で開催中の池田満寿夫“1966”展は、私から見ると“堀内康司さんへのオマージュ展”といってもいいかなと思います。堀内さんは長野県松本市の出身、早くに両親と死別、一人で生きてきました。画家を志して上京します。美術学校に入らず独学、国画会で新人賞を受賞し、将来を期待されました。日本のヴォラールといわれ新しい才能を応援した画商・福島繁太郎氏の知遇も受けました。ところがのちになぜか絵をやめてしまいます。そして証券会社のサラリーマンをしているとき、神田の古本屋の壁にかけてあった一枚の絵を見て衝撃を受けました。池田満寿夫の絵です。そして池田満寿夫に取り憑かれてしまったのでした。池田満寿夫にのめり込んだのです。実在者というグループをつくり、アイ・オー、真鍋博、それに池田を加えて活動するが、3回で消滅。絵をやめた堀内康司さんはいろいろな仕事をしています。本のカットを描いたり、写真家でもありました。
1961年、池田満寿夫最初の銅版画展が20余点の作品により東京上野・不忍画廊で開催されました。この企画を持ち込んだのは堀内康司さんです。長谷川利行や木村荘八といった日本近代洋画。中村正義、近藤弘明等の現代日本画の画廊に、銅版画で新星の如く現れた池田満寿夫を持ち込んできたのは堀内康司さんでした。以後、不忍画廊は駒井哲郎、菅野陽、北川健次など現代銅版画を軸にする画廊として今日にいたっています。
今回の展覧会企画の注目は、1960年代の記録すなわち池田満寿夫のさまざまなシーンの写真(コピー)の数々です。これらは大半が堀内コレクションです。かなりの撮影者は本人なのです。
今から50年前、この画廊のあるビルの二階に日本橋画廊がありました。池田満寿夫は当時日本橋画廊の契約画家、国内の賞、そして国際ビエンナーレグランプリ受賞など、世界にとび立った場所でもあります。
堀内康司さんへの感謝と哀悼を捧げたいと思います。
荒井一章