宮澤壯佳: 池田満寿夫とヴォルスの描線

池田満寿夫とヴォルスの描線
-その即興・変奏・物語る筆法-

宮澤壯佳

 人は未知なものに出会ったとき、既に知っているものを連想しがちだ。その好例が、1960年の第2回東京国際版画ビエンナ-レ展の審査員として来日して審査委員長に指名された美術評論家ヴィル・グローマン博士と、全く未知な池田満寿夫のドライポイントの出会いである。 クレーやカンディンスキーの研究で著名なグローマンは、とっさに夭折の画家ヴォルス(本名=アルフレート・オットー・ヴォルフガング・シュルツェ、1913-1951)のドライポイントによる線との類似性に着目し、池田満寿夫が線を自由に駆使しながら線そのものの独自な自律性と高い表現力を発揮していることを評価する。同時に、オリエント学を修めた彼らしく、能面に通じる日本の簡潔な美を見出した。そして、彼の強力な推挙で池田満寿夫はドライポイントを多用した作品で〈文部大臣賞〉を受賞。一躍、無名版画家に陽が当たる。
 しかし、池田満寿夫は、抽象表現主義的なウィレム・デ・クーニングの女性像を意識していて、ヴォルスについては何も知らなかった。ヴォルスが38歳で他界したとき、まだ彼は長野の高校生だったし、日本で初めて本格的にヴォルスの作品が紹介されたのは、グローマンと出会った4年後の南画廊である。
 ヴォルスは池田満寿夫より21歳年長で、その生涯は悲惨だった。職の変転、生活苦と放浪、ナチスの迫害、国外追放、財産封鎖、ヴォルスという偽名の行使、強度なアルコール中毒、失明の危険など、苦悩に満ちた波乱と破局的な日常から特異な写真・油絵・グワッシュ・銅版画を生みだし、サルトル、ジャコメッティ、ボーヴォワール、マチュー、フォートリエらに賞讃されながら短い生涯を閉じる。彼の作品には繊細な病める苛立ちと錯乱と幻覚と実存の深淵が色濃く影を落していた。
 それに比べれば、池田満寿夫には極貧期と愛の苦悩があったものの、作品も生活もヴォルスより健康的だった。だが、彼は無意識のうちにヴォルスを連想させる「線」を用いていたことに気付くと、グローマンから送ってもらった雑誌の切り抜きからヴォルスを徹底的に意識することで、逆にヴォルスを超える線とイメージを模索する。 その結果、1960年代初期の独創的な作品群によって銅版画の「錬金術的技法」と訣別する。「自動記述」ふうの唄うような落書きタッチ、無造作に見えるドライポイントの陰影に富む線、ルーレットなどによる明快な色彩、それらの絶妙なコントラストで「日常の物語性」を暗示する類例のない心象風景をつくりだした。
 ドライポイントは、譬えると、音楽の即興演奏(インプロヴィゼイション)に通じ、鏡面のように磨いた銅版に直かに鋭いニードルなどで線を刻みつける技法である。マジック・インクやリト・クレヨンで版に下書きする作者もいるが、ヴォルスは直接ニードルの切っ先で銅版を引っ掻くように、繊細にして鋭利な筆法で描いたと思う。 そういえば、イーゴリ・ストラヴィンスキーは「音楽、それはまず第一に筆法(カリグラフィー)である」と明言していた。暗い曲、陽気な曲、物悲しい曲があるように、二人のドライポイントは、同じ技法でも、筆法・曲調・イメージが違う。ともに作品が異質な人生体験・体質・感性に裏打ちされているからだ。
 そのような似て非なるヴォルスと池田満寿夫のドライポイントの銅版画を、同じ空間で対比して見せるのは、恐らく初めてだ。そのユニークな企画によって、ドライポイントの奥深さと多様な表現の魅力や可能性を存分に味わうことができるだろう。興味の尽きない絶好な機会となるに違いない。

(みやざわたけよし・美術評論家・前池田満寿夫美術館館長)
「MASUO & WOLS」展パンフレット原稿より