1949年、県立長野高校(当時は長野北高校)同級生であった池田満寿夫との交流は、彼の死(1997年)まで続く。
3月8日は彼の命日、梅満開の熱海の墓に線香をあげたばかりだ。自作の金属オブジェの墓碑は太平洋に向い、陽光に輝いていた。私は池田の作品を、画商になってから、一つの物差しとして使うようになった。池田作品と比べてみると、よくわかるのだ。こんなことを言うと笑う人がいるかもしれないが、事実なのだから仕方がない。彼の死後16年もたっているのだが、池田の作品は古くなっていないのだ。日本人は新しもの好きの人が多いが、池田満寿夫の作品や文章は、少しも古くさくなっておらず、新鮮で目を開かせてくれる。
先日、不忍画廊に来た、カナダ人アーティストが「池田満寿夫の作品に触発され、日本の美術大学に留学しました」と言っていたが、納得したものである。長い時代、アートを紡いでいる池田の芸術は不滅なのだと思っている。
不忍画廊会長 荒井一章
「池田満寿夫と斎藤真一と長谷川利行展」(2014.4.14~5.2 不忍画廊 案内状より)