スカートの奥からこの世界へ着地した子供たち。自分の握りこぶしを見つめて自分自身を自覚していく姿を私はしっかりと見ました。かつては無だった者が、今は存在していること。本当に不思議です。数十年の「人生」があり、それが次の世代へとどんどん引き継がれていく。そこにどんな意味があるのでしょう。
アイデンティティとは何だろうと考えたり、自分と他者への関心が自分の絵の表現になったり、一体私は何をしているのでしょう。満足のいく答えにはなかなか近づけません。ただ、自分が発達していく中でそのアプローチは必要であると考えます。子供を産むという経験の中で他者である我が子との一体感、混同の中で愛の根源を見つけた気がします。自分が何者であるのかという問いに対して今までで一番手応えのある物でした。しかし、そこにある依存と自立との流れの中で掴んだものがこぼれ落ちていく感覚がありました。愛する子供によって自分の存在に確信を持ったのも束の間で、問題は堂々巡りのようです。
今回の作品たちは死を抱えてこの世界へ生まれてくる私たちの事を思って作品を作りました。釈迦の話から無憂樹の木や涅槃台などのモチーフを用いています。自分が何故生まれてきたのか、答えのないその問いをこの作品の中で同じく迷子として共感していただければ幸いです。
呉 亜沙
「迷子」 2016 F100
左:「生まれたかった私」 2016 F50 右:「home」 2016 立体
左: 「Sympathy 」 2016 立体 右: 「産む人」 2016 F20
左:Babies 2012 立体 右:chain 2016 F4
maze 2016 F4
spread 2016 F0
わたしたち 2005 ドローイング