会期中に会場でご記入いただいた質問への回答が届きましたので、ご紹介します。
Q.VOCA展の頃の作品が好きなのですが、今回の出品作はその頃の画面を分解して作品の奥にあるものを再確認されているように見えたのですが、ご自身ではそのように捉えていらっしゃるのでしょうか?
(40代・男性・S)
A.そのように解釈していただき、どうもありがとうございます。VOCA展出品前後の頃に描いていた作品世界と、今回のportraitは、Sさんが感じてくださったように、二つとも同じ世界・空間の中に同居しているものと私も感じています。Katari-jima世界の分解、再認識とまではいかないかもしれませんが、もしかすると、katari-jimaの中に分け入ってさまよっている間に出会う、様々な気配達の形ではあるだろうと思っています。現段階での自己分析でしかありませんが。おそらく、探り続けて、描く試みを続けて、いつか死ぬ時に自分の描いたものの正体が分かるのか、分からないのか。言葉になり得ていない者たちの正体と出会い、確かめられる時が来るのは、やはり死んだあとかもしれませんね(笑)
Q.千夏ちゃん、ついにやってきました。作品から思いを伝えようとするエネルギーが伝わってきました。色がとても好きです。次にどんな作品が見られますか楽しみにしています。*質問ではなくてすみません。
(40代・女性・札幌のR.T)
A.R先生、どうもありがとうございます。初めて先生と会った日から20年経った今、あんなに頭が固かった私が、自分の気持ちに素直に描けるようになった絵を見てもらえるようになれたなんて、とても嬉しくて、不思議で、この気持ちを大切にしていきたいと心から思いました。また先生に成長を見てもらえるように、表現を追求していこうと思います。
Q.作品の中で「ぼう」っと現れているもののなかに、雨粒のような水滴のようなはっきりとしたものがあるのが、どんな意味があるのだろう?と思いました。
(30代・女性・フリーター・A.H)
A.基本的に「ぼう」っと感じたイメージを、リアルに「ぼう」っと描こうと心がけていますが、中には微量でもシャープに感じる質感や目線などがあった場合に、水玉のような表現や目玉のようなものを描いたり、ということがあります。自分自身でも意味という意味は見つけられずにいます。ただ、そのような要素を絵に組み込むときに共通して思うのは、ある有機的なエネルギーや存在を暗示させたいときに使っているんだなということです。それは、生きるために必要なものとして、生きるが故に感じる悲しみや、また希望かもしれないし。今後もどこかで水滴を描きたくなったら、なぜ水滴を描きたいのかを掘り下げて、いつか水滴を描かずとも様々な気持ちを表現できる術を見つけることができたら、そのときに初めて本当の自分の言葉で絵を描けるようになるんだろう、と思っています。
Q.作品の回りに描いてある線を描く時にどんな想いをこめているのでしょうか?
作品を見せて頂いて・・・
「新しき 生命体が 誕生だ 目を閉じて 明日の心を見つめてる」
(60代・男性・無職・K.N)
A.線を描くとき、このportraitの主人公に少しでも触れたい、触れたらどんな手触りなんだろう、きっと柔らかくて、私を受け入れてくれるものであって欲しい、と思いながら一本一本描きいれています。できれば、その一本一本に意思があって、それぞれが伸びていきたい方向に伸びていく…そんな線が描けるようになっていきたいと思っています。
Kさんの詩、とても嬉しいです。目を閉じて、心を見つめ続けて、もの言わぬ生命体の気配をもっと感じ取れるよう、自らを研ぎ澄ませていけたらと思います。どうも、ありがとうございました。
Q.一番好きな色は何ですか。その理由も教えてください。
(この質問箱の上にある水滴の作品が気に入りました。)
(40代・女性・画業・P)
A.一番好きな色…とっても難しいです。私にとって色は、そのときどきで自分の不確かな精神をプラスに補ってくれたり、また嫌な部分を吐き出す道具になってくれたりと、毎日流動的に変化します。今現在では、黄色やピンクなどの暖色系統の色が、実際使っていて気持ちが良いと感じている色です。ただ、まだ使い始めたばかりで、その色の持つ強い個性や一般的概念からではなく、今なぜ自分がこの色を好んでいるのかという根本を引っ張り出せていないので、今後どのようにピンクや黄色の絵が変化していくのか、楽しみにしているところです。
Q.(ステキでした)札幌にての企画展開かれますことを楽しみにしております。お店の方 説明親切に伺いました。
(男性・女性)
A.どうもありがとうございます。地元の札幌でも、まとまった作品をお見せできるように頑張ろうと思います。今回は不忍画廊さんで4年半ぶりに個展をさせていただけましたが、前回展示した作品と今回展示した作品とでは、対象を表現する私の視点に違いが生じていたので、その間を繋げる役割の作品が多少必要だったかもしれないと反省をしました。世界は一緒だけど、視点が違う…これは今後も表現する中で当然出会うことなので、お客様に作品を見ていただき、理解していただくためにはどのような発表の仕方をしていくか、良く考えていこうと思いました。
Q.・正方形の作品が多いのは何故ですか?
・描く前に完成イメージは出来上がっているんですか?
(40代・男性・サラリーマン・M.I)
A.今回見ていただいたportraitというシリーズの作品は、他のシリーズの作品と表現的な区別をつけるために正方形で統一をしました。特に、portraitは何らかの肖像画という設定で表現していますが、イメージとしては、自分と、何なのかはわからないが確かに誰かと向かい合って対峙している…という感覚を持って描いていますので、目線を一点に集中させるには正方形の中央に描くのが最適なのではないかという考えのもとで、スクエアというサイズに統一しました。また、完成イメージですが、描き始めの完成イメージというのは、空の雲が温度や大気の流れによって少しずつ変化していくのと同じように日々動き続けていくので、大まかなイメージからさらに複雑なものに成長していく場合もあれば、変化しないときもあるし、逆にどんどん霞んで捉えにくくなるときも多々あります。
Q. はじめて會田さんの作品をみました。
ことばにできない代わりに絵で表すということ。だから作品をみていると、「では これはことばをあてはめられるなら?」と想像させられました。
私はこれらの作品にことばでものがたりをつくりたくなりました。よい空間でした。
(30代・女性)
A.ありがとうございます。そのような見方をしていただき、また感じてくださって、とても嬉しいです。
自分の作品について思うことは、portraitの大判の子たちは、さびしがり屋に見えるということです。描いた本人が言うのも変な感じがしますが、彼らは言葉として表に表現されてもらっていないので、「ここにいるよ」と、気づいてもらえるまでフワりと漂い、佇んでいるような気がします。なので、見てくださった方が、その一人一人の言葉を想像してくれて、物語を紡いでくれるかもしれないことに、私は救われたような気持ちになりました。これからも、portraitを大切に、丁寧に取り組んでいきたいと思います。ありがとうございました。
Q.とてもさわやかな空気を感じいやされました。
北海道で制作されているということですが、描いているのは自然の光景からヒントを得てイメージを作成していますか?それとも心象風景でしょうか?
(30代・女性・会社員・A.K)
A.私が住んでいるところは北海道ですが、残念ながら札幌という中途半端な都会なのです…。ですが、自然はほんの小さな足元の土からも感じることができます。特に雪解けの時期になると、土が温められて植物が新しく芽吹く匂いを感じたり、雪解け水が流れる音に、自分の血管にも新しい水が流れ込んで体がピンと伸びていくような、そんな感覚にもなることができます。私が描きたいのは、自分のフィルターを通して感じた、小さくもたくましい自然の力であったり、人間の言葉になる前の段階の心理的なざわめきみたいなものの断片の、できる限りの具象的な姿です。ですが、具象的に正直に表したいがために、画面が霧だけで覆われそうになるのがたまに傷です…。「いやされた」と感じていただいて、とても嬉しいです。
Q.作品を拝見していると何か生命体が動いている様な少しずつ変化していく様な印象を受けます。
また植物や宇宙の様な感じも受けるのですが、描いている時、どんなイメージでいらっしゃいますか?
(女性・m)
A.描いているとき、イメージ自体はいつもゆっくり変化し続けているという感覚を持っています。彼らは私の意識なのか、意識下にあるのかもわからない、白い霧のようなところからフワッと見え隠れしていて、その形や色も、日々変化したり戻ったり、また霧に埋もれたりしながら、そこにもとから住んでる者たち…という感覚もあります。描くときに写真などの資料は全く無く、自分の内側で感じた気配や質感を頼りに描くので、それらは私の体調や心の変化によっても色や形を変えて動き続けているのが当然だという考えで描いています。なので、自分自身に急激な変化があると制作のスピードがついていけず、ちょっと前まで使っていた色が、今はもう使えない…ということもしばしば起こっています。植物や宇宙などの自然生命体的なイメージというのは私の中にもやはり有って、基本的に自然に興味があるという自分の気質も原因していると思います。
Q.作品の題材や構図が思い浮かぶのは(いつ・どこ)ですか?
(30代・男性・会社員・T.M)
A.まず、題材を探る段階では、完全に自分の中に落ちることができる時間が必要で、できるだけ自分が人間であること、肉体を持っていることを忘れるまで、心の内側の穴のような所へ落ちようと試みます。でもそれはとても難しくて、そのような感覚に落ちれるときは、新しい題材が掴めそうな稀なチャンスになります。そこから、一つの存在の塊のようなシルエットを見出せたら構図の段階なのですが、構図を決めるときの自分の中でのルールは、自分の目線に正直に、見えたように、感じたように主役を配置することです。その他では、日常でのふとした小さな出来事が日頃自分が感じていたこととリンクしたとき、道端の小さな草の芽から自然の大きな生命力を感じたときなどにも、色や蠢きみたいな気配から題材を得る時もあります。
Q.画面が光沢のあるものと、つやがなくまるで紙の上に描いているようにみえるものがあります。どのように違いをつけているのですか?
(30代・女性・Y)
A.光沢については、まず使っている溶剤の種類によるものです。すべて同じ溶剤を使用しているので、もともとは全ての作品に光沢がありました。つやのない作品には表面にマット仕上げのニスを塗っています。自分としては、本当は光りすぎている表面は好きではなく、できれば全てマットに仕上げたいところですが、色によってはマットよりも光沢のある方が深みが出る色もあったりして、今はどちらかに統一するというように決めてはいません。もっと良い方法、今の自分によりピッタリな材料の使い方を見つけていきたいと思っています!
Q. katarijimaシリーズから見ています。
今回のportraitシリーズはずいぶん色彩が明るくなったように思いますが、(失礼ながら…)未完成のようにも見受けらる作品もあるように思いました。必ず、完成作・未完成作の区別をつけなければならないという事はないのですが、何か作家としての考えやこだわりなどがあるのでしょうか? 同じサイズの作品でもずいぶん仕上げ方が違う作品がありましたのでお聞きしたいと思いました。
(30代・男性・X)
A.今回20個のportraitを並べたのを見て、自分でもそう思いました。Portraitのテーマは、言葉になる前の、名前の付いていない感情や気配のようなもので、そのような曖昧なものの中でも頭の中で明確に形として認識できているものは「こうしたい」という完成度が見えているので、それに向かってできるところまで筆をいれられるのですが、まだ自分の中でも曖昧すぎて形や質感を捉えきれないものは、やはりその曖昧さがそのまま未完成という形で出ているようです。かといって、完成度を求めて手を入れ続けると、最初に感じたイメージとは違うものになってしまいます。
Katari-jimaの場合はそれがどういうものであるか、ということは自分の中で明確な設定や願望をあるていど自覚して描いているので、完成に見える形で仕上げることができていると思います。誰が見ても「これは完成品だ」と認識するものがどういうものかというのは私もわかっているのですが、表現としての未完・完成の境界はどこにあるのか、正直なところportraitについては掴めずにいます。
Q.奥行を気にして制作されているようですが、凹凸した表面にしないのは何故ですか?光沢が出るように制作されているところに矛盾がありますが、どのような考えをお持ちでしょうか?
(20代・女性・M.N)
A.凹凸の少ない表面を好むのは、使っている溶剤や筆との相性というのもありますし、絵自体の表面質感が出来るだけ無い方が、私が実感したい・体験したいイメージ世界の質感を邪魔しないと感じるからです。光沢が出てしまうのは、溶剤に樹脂が入っているためですが、できるだけつやが出ないように描きたいのが本音です。使う色によっては、つやがある方が色に深みがでる場合もあり意図的に施すこともあります。ただ、M.Nさんの言うとおり、絵の光沢がでることで表面に光が反射し、絵と鑑賞者との間に物質的な隔たりが出来てしまうのが、私が今向かっている技術的な問題で、これを改善していき、よりリアルな実感をもてる絵を描きたいと思っています。
Q.作品の中に動物のパーツや植物のイメージなどが入っているように思いましたが特に何か「コ レ」 と特定したお花、動物などがあるのでしょうか?例えばタンポポとか・・・。
(女性・会社員・Y.K)
A.portraitを描くときに、自分の中で決めていることがあって、それは、絵の中に一つだけ「これは~かもしれない…」と思えるようなパーツを描くことです。もちろん、それは全体イメージに合った形を選びますが、これにより、特定の何である、ということを伝えたくて描いているわけではありません。私の中では、「これは~だろう」という答えめいたものは持っていますが、それは絵を見てくれた人の見方によって変化してかまわないし、むしろ、Kさんには何に見えたのか?ということが私にとっては大切だし、面白みだと思っています。例えばKさんがタンポポに見えた絵を、Aさんは太陽にみえたかもしれないし、Bさんは爆弾の爆発に見えたかもしれません。人によって、その人がもってる性格や精神状況、関心ごとによって見えるものが違っている。見てくれた作品が、鑑賞者にとっての肖像画にもなり得たら、とても嬉しく思います。
Q.今後(次)のテーマは?
(30代・男性・建築家・J.K)
A.日常の中で、忘れられて埃をかぶってきた子供の頃からのガラクタを一つ一つ絵にするという方法で向き合い、残していきたいなと思いはじめています。また、katari-jimaを今描いたらどんな姿で描きあがるかということにも興味があります。でも、次のテーマに進むというよりも、まだまだ今の状況で描ききれていない質感をもっとリアルに表現できるように精進したい気持ちのほうが強いかもしれません。
Q.絵のサイズはどうやって決めているのでしょうか?大きなキャンバスに描くのは、どのようなモチーフとか決めているのかなあ?と思いました。
(40代・男性・会社員・T.T)
A.サイズを決める一つの目安としては、自分が実物大で描きたい、感じたい、と思う大きさです。大きいキャンバスがあれば、その大きさの中で感じたイメージを描くし、小さければ、実物大のきっとこれくらいの小ささなんだろうな、と感じるイメージで描いています。ドローイングではそういう感覚は起こらなくて、小さい画面の中で大きいイメージのものも描けるのですが、タブローとなると、なぜか実物大にこだわっている様な自分がいて、不思議です。