荒井裕史(不忍画廊代表・ディレクター)
「机上の惨事」
まずタイトルのセンスが抜群、ニヤリとしてしまいます。
大都会の風景(社会)と、仕事場である机(自分)とを並列に配置する事は、ダサくなる危険性がありますが、
驚異的な線と構成力でいつの時代でも通用する普遍的な芸術作品になっています。
またこのタイトルが付けられた事で観ている人と作品が対峙(対話)がしやすくなっています。
この作品が出来た事によって、翌(1979)年から制作を始める<象の風景>シリーズに立ち向かえたのではないかと思う。
「卵 夢」
DMに使用した作品。
同年(1978)の他作品や同時代の他作家の緻密な銅版画作品には、特有の湿度を感じる事が多いのですが、
この作品は甘さを極力排除し、硬質な銅版画の魅力を感じさせる。
日本のアーティストでこれが出来るのはとても少ない。
「大地の祈り」
DM(年賀状)に使用した作品。
今展は当初、ビュラン(エングレーヴィング)のみ展示する事を考えていたが、
展示をしてから渡辺千尋のメゾチント作品の独自性に少し気づき、もっと凄い作品が出来る予兆を感じた。
長谷川潔、浜口陽三以降、ずば抜けた才能の出ていないこの手法の突破口に気づいていたのかもしれない。
機会があればメゾチント中心で再企画を考えたいところであるが、遺された作品はごく僅か。
没後に収蔵された多数の美術館の企画を待つしかないと思う。
「大地の祈り」を挙げたが、「長崎の基督」、「長崎の情景(殉教の丘から)」も同様に名作だと思う。
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作品との出会いは1989年、みゆき画廊での「渡辺千尋銅版画展 象の風景」私は大学卒業前であったかと思う。
案内状テキストを書かれた詩人・故松永伍一先生から強く薦められて個展会場に伺った。
今思えば代表的シリーズを初見から見ていたという最高のタイミングであったにも関わらず
まだ学生時代であった私自身の記憶はあやしいもので、「机上の惨事」「象の風景―N峠地区」など
強烈な作品のイメージは良く覚えていたが 自分が包み込まれるような大作(160×100くらい)だと最近まで思い込んでいた。
(実際は35×25cm程のサイズの作品)
これまで見た事のない作品世界に自分自身が完全に取り込まれてしまっていたという事なのだろう。
会場ではお会い出来なかったが、そのあと共通の知人F氏と一緒にアトリエに伺った事も強烈に覚えている。
それから10数年経って千尋さんの友人でもあるビュラン作家・門坂流氏の当画廊個展に来廊され再会、
またその後も千尋さんの個展に行き、アトリエにも伺わせて頂いた。
半地下の中央に銅版画プレス機が置かれたひんやりとしたデューラーのいた時代の空気漂うアトリエで、
初期作品や(当時の)新作までシートケースから引っ張り出していろいろと作品を見せて頂いた。
私が、「もう一度<象の風景>で企画をしてみたいですね。」とお話ししたら、
千尋さんは「じゃあ個展タイトルは<象の風景、ふたたび。>だな」と呟かれた。
私への返答なのか、思い付いてふいに出た言葉なのかはわからないが、
その時の千尋さんの呟かれたタイトルが、今までずっと頭の片隅に残っていた。
結局、その後も千尋さんとの個展は実現されず、今展が初めての紹介となった。
初期ビュラン作品と、2001年以降のメゾチントを2つの小部屋に分けて展示、
いつもなら、なかなか決まらない企画展タイトルも今回はすぐに決まった。
「渡辺千尋展 “象の風景、ふたたび。”」