【美術家・人形作家】
「象の風景―N村地区」
渡辺千尋さんに最初にお会いしたのは2003年のことでした。出会って間もない頃に、作品集とほかのご著書を送って頂き、恐縮しつつもとても嬉しく、御礼の手紙をお送りしたのでした。書いたのは銅販画集「象の風景」への個人的な感想でした。その風景の中に、私は幼い時期を過ごした場所の幻影を重ねていたのです。「象の風景」が、どんな場所をモチーフに何を描こうとしていたかはもはや別の問題で、それらは私のしまい込んだ記憶に狂おしく爪を立ててくるものとなったのでした。そこは東京湾の埋め立て地に近い、新しく造成された8棟ある巨大な団地群でした。私の一家が入居したのは先に完成した1号棟で、4号棟から後は長い間工事中でした。団地は一つの町を成し、14階建ての棟々が巨大で不定型な屏風のようにそびえ立っていました。神秘的な謎を秘めた団地群、殺伐としてどこか大きな生き物のような工事現場。緑地公園には野犬の群れが進入し、子ども達と一緒に走り回っていました。広場には小さな噴水が作られていて、工事中に拾った鮮やかな色タイルは私の宝物でした。物陰には変質者が潜んで子どもを狙い、高層階からは自殺者が飛び降りました。大気汚染で霞む屋上には「UFOが降りるため」の目印の場所がありました。めくるめく魅力の中に不気味に死の匂いのする記憶。しかし普段はそれは、夢に出てくる時以外は封印された想い出になっていました。その息苦しい郷愁が、なぜか画集を見ながら呼び起こされてしまったのでした。
「笑う男」
2007年11月の長崎での展覧会には、東京からご友人の皆様が誘い合わせて行くことになり、私もご一緒させて頂きました。展覧会では版画作品が販売されていました。私も、何か一枚作品を欲しいと思いました。「象の風景」がやはり好きでした。しかし、いざとなるとなかなか決められませんでした。 会社勤めをやめて以来、私は自分の部屋に一人でこもって作業をする生活をしています。自分だけで過ごす長い時間の中にこれらの風景の版画があったら、私の心はその中に深く入りこんでしまいそうだと思いました。あるいは、もう存在しない過去に誘われていってしまう気がしました。 人物が中心の絵は少なく、その珍しい1点である「笑う男」はもしかしたら若き日の渡辺さんご本人に似ているのではないかと思いました。しかし、単に諧謔的な自画像ということではないような気もします。「笑う男」は何かをしきりに語るかのように舌をひらひらとさせ、でも自分の心は明かしたくないというように胸の中にその手を隠しています。簡単に私の共感を許さない他者がそこには存在するのでした。結局、私はその時以来、この「笑う男」と一緒に日々を暮らしています。今も仕事場の壁でこの人は何事かを語り続けています。私はたぶん、自分を現実の中に弾き返してくれる、そのような誰かを封じ込めた作品を必要としていたのだろうという気がします。
長崎KTNギャラリー、吉本大輔氏の舞踏を見つめる渡辺千尋と来場者(撮影:井桁裕子)