池田良平: 斎藤真一の「瞽女」

斎藤真一さんと会って話をした回数はほんの数えるほどしかなかった。もっともっと話をしたかった。ちょうど天童で開催する展覧会が始まる前でもあったので、話すことはいつも出品される作品のことだった。「あれはどうしても展示して欲しい。」いつも優しい声でこうおっしゃっていた。そうやって挙げられる作品のひとつひとつに斎藤さんの心が塗り込められているのだろう。展覧会は斎藤さんが取材地で拾い集めた心が再び集められる場所であったに違いない。

斎藤さんは逝ってしまった。両手に抱えられないほど多くの心を持って。もうお姿を拝見することはないが、遺された作品に対峙すればいつでも斎藤さんに出会うことが出来る。自分はそう信じている。

斎藤真一の「瞽女」が人びとの心を捉えて離さない訳はいったい何なのだろうか。「瞽女」の作品を思い出す時、一番に思い起こされるのはあの独特の赤の色だと思う。斎藤さんは「赫」と表現した。では、あの赫の魅力だけが斎藤さんの特徴なのだろうか。いや違う、赫だけでなく違う色で構成された作品からも斎藤さんらしさがあふれ出ている。斎藤さんらしさっていったいなんだろう。改めて考えてみたい。

赫が斎藤の画面に現れるのは1959年が最初だろう。滞欧時代の作品に後の赫と同じものと考えられる赤が現れている。画家は瞽女の取材の中で瞽女さんから聞いた夕焼け空の色から赫が生まれたと語っていたのでこれは驚きであった。斎藤の赫はそれ単体で使われることはまずない。赫が段階的に変化し、画面の中にあるもうひとつの代表的な色まで変化している(これを階調と言わせていただく)。この階調が後の「瞽女シリーズ」で開花し、その魅力的な色彩を生みだした。瞽女シリーズの画面を見ていると赫は徐々に他の色と混ざっていき、やがて白や黒、時には青へと変化していく。この色調の変化が厳しければ厳しいほど、我々の心を締め付ける郷愁を呼び起こすのだろう。「おつやの死」では赫から黒へと変化する階調、そして黒は白にも変化している。この対照的な色の変化が印象的である。

瞽女の作品になってから用いられているものに画面分割が挙げられる。以前からあこがれを持っていたキリスト教の祭壇画から発想を得たものだろう。瞽女さんたちから聴き集めた物語を、画面を2分割あるいは4分割(時には6分割)にして、物語として表現している。この表現方法も斎藤作品の魅力となっている。画面分割を用いている時はたいてい画面の周辺をもうひとつの額縁のように扱い、画題や、物語のおきた村、あるいは物語の主人公である瞽女さんの名前などが記してある。これは明らかに斎藤が失われていく(あるいは既に失われてしまった)瞽女ひとりひとりの記録を残そうという考えからだろう。人物の配置(例えば亡くなった人を仲間の瞽女が抱え上げる場面)には明らかにキリストの死の場面を彷彿させる構図が使われている。また、多翼祭

壇画に影響を受け、自作を祭壇画風に仕立てた作品も構造的ではあるが斎藤作品の特徴に挙げられる。3面1組として中央の画面を大きく取り、その両翼をその半分にした構造を持つものや、2枚の作品を蝶つがいでつなぎ合わせた構造のものがある。3面の作品では閉じた両翼の裏パネルに瞽女唄が書かれている。2枚をつなぎ合わせたものは、所蔵家の所有になったものを斎藤が勧めて、額装を改めるといったことが行われたようだ。額装の話をもうひとつ紹介するが、初期の瞽女の作品では漆調の色が塗られた額が使用されている。これはこれで作品と合い趣のある額であるが、1975年頃から「斎藤縁」と自称する黒い額を使うように なっている。これは根来塗に代表される日本の漆器から発想を受けた額で、黒の下地に赤が塗り込められ、ところどころ黒の下地の赤が見えるように仕立てら れている。これは若い時に影響を受けた岸田劉生が「劉生縁」と呼ばれる劉生オリジナルの額を用意していたものに影響を受けており、いずれ自分専用の額を作りたいという願いを叶えたものだ。古美術に深い造詣を持つ斎藤は漆器の持つ風合いを尊び、根来塗のように古くから使い込まれ下地が見える様をこよなく愛したところから生まれた額である。

以上が斎藤さんらしさを自分なりに分析したものである、これらが複雑に重なり合い魅力となっている。赫の階調は日本の近代化の影で失われた自然が持つ(今の自然ではなかなか表現できない)色彩、いわば古き良き日本の象徴といえるものだろう。この色彩は、自然の中を瞽女さんたちと共に歩き、気持ちを通い合わせた斎藤さんだからこそ手に入れたものだ。斎藤さんは急ぎ足で新世紀を迎えようとする日本人たちの中でひとり立ち止まり、留まり、消えゆく時を待っていた文化を両手ですくい上げ、温かな心でそっと描き残した。瞽女をはじめとした作品は、裏文化の記録として評価を受けたのではなく、画家・斎藤真一の作品として高い評価を得たものなのである。

(いけだ りょうへい/天童市美術館学芸員)